あさこはうす基金

あさこはうす基金は解散します

あさこはうす基金の解散と寄付金返金のお知らせとお詫び

突然のお知らせで大変恐縮に存じますが、あさこはうす基金は2013年12月31日をもって解散することとなりました。設立直後にこのような事態になりましたことを深くお詫びいたします。

以下、経緯をご説明させていただきます。

あさこはうす基金は、7月に6人で現地を訪問し厳しい実情を知った齋藤武光らによる「あさこはうす」支援の申出に対し、小笠原厚子さんが基金の設立を希望されたことから、全国的で継続的な支援をするための受け皿になればと考え、2013年8月に設立したものです。小笠原さんも大変喜ばれ、話し合いに基づき双方合意の上で賛同人を募り、リーフレットやホームページも作成するなど準備をすすめてきました。

9月22日に世話人会を開き支援の方針を決め、9月27日には大間あさこはうすで報告し、 小笠原さんも同意いたしました。

そして11月17日に、澤地久枝さんを講師にお招きしてあさこはうす基金設立記念集会を開催いたしました。

ところがその設立記念集会の挨拶で、小笠原さんご本人から当基金を、水の支援が終わり次第「解散」したいとの発言があり、突然のことで本当に驚きました。そういうご意向があるならいくらでも事前に話し合いが可能であったはずですが、なぜ設立記念集会の席上で突然「解散」の話をされたのか今もって理解できません。その後の懇親会でも当基金に対して疑念を抱く方の発言も数件あり、混乱を生じさせてしまいました。

小笠原さんによる突然の「解散宣言」は主催者にも寝耳に水でありましたが、ご出席下さいました方々、また講演して下さった澤地久枝さんに不審の念を抱かせてしまいましたことをお詫びいたします。

設立記念集会に基金設立に反対する方々が参加され相次いで発言された事情は分かりませんが、小笠原さんからは、「あさこはうす基金の支援金は井戸の工事に使わせていただき、工事が完了したら、基金を解散してほしい」「その工事の見積もりが2、3日中に届くので、届き次第、送る」との発言がありました。しかし12月7日まで見積書は届きませんでした。

12月7日に小笠原さんと再度話し合いの場をもち、その時「井戸は自分の知り合いが支援と言う形でやってくれることになったから、基金からの支援は不要」という説明がありました。またその時10月、11月と2回にわたり、月々の維持費として送金してあった20万円も返金されました。

当基金は私たち有志があさこはうすを支援するために設立したものであり、小笠原さんが「解散」を宣言する性格のものではありませんが、ご本人が望まれない支援を続けることはできませんので、12月15日の世話人会で全員一致で解散することになりました。なお、寄付金の振込口座は12月16日をもって閉鎖いたしました。

基金には90名の方より93万3981円の寄付金をお寄せいただきました。多くの方にご賛同いただき、心のこもった多額の寄付金を頂戴いたしましたにもかかわらず、小笠原さんが基金の支援は不要と今までに送金した支援金も返金されましたので、大変不本意でありますが、集まった寄付金を全額皆様にお返しさせていただきます。返金は12月24日以降となります。皆様の志に沿うことができず、誠に申し訳ございません。

皆様に多大なご迷惑をおかけしましたことを改めてお詫び申し上げます。あさこはうす基金はこのような形で解散することとなりましたが、私たち有志は今後とも大間原発建設に反対してまいりますことをお約束いたします。

2013年12月20日   あさこはうす基金代表世話人 齋藤武光

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シライ ミサコ 様

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事務局

大間と「あさこはうす」について

大間とは

本州最北端に位置する青森県大間町。津軽海峡の海と豊かな自然に恵まれた美しい町です。

1999年、電源開発はこの町に原子炉設置の申請をしました。フルMOX燃料使用という世界的にも類のない極めて危険性の高い原子炉です。

原発予定地内に土地を所有していた熊谷あさ子さんは、計画当初から「豊かな海で生活している大間に原発はいらない」と、土地買収を拒否し続けてきました。

その為、電源開発は炉心の位置を200mずらすなど異例の対応をとらざるをえませんでした。

あさこはうすとは

今、その土地にあさ子さんが建てたログハウス「あさこはうす」があります。

残念ながらログハウスを建ててまもなくあさ子さんは、68歳という若さで急逝されました。

けっして立派な建物ではありません。でも多くの困難の中であさ子さんの貫かれた原発反対の意思を象徴している建物です。そして原発予定敷地内に建つこのログハウスを守ることは、原発をとめることにつながります。

あさこはうす